遺言の有用性 ~特別受益と寄与分の観点から~

2019年4月26日

 

 遺言はなぜ必要か?

「家族が争わないために遺言を」

 よく言われることです。なぜでしょう。

 理由はさまざまだと思いますが、ここでは、特別受益・寄与分の要件・判断基準から考えてみます。

 

 遺産分割協議が紛糾し、我々のもとへ案件が持ち込まれる際によく言われることとして、

「A男(相続人の一人)が父(被相続人)の生前、財産を譲ってもらっている。だから、このことを遺産分割にあたり考慮すべきだ。」

とか、

「私は長年病気療養した父(被相続人)と同居して身の回りの面倒をみてきたのだから、この事情を遺産分割にあたり考慮するのが当然だと思う。しかし、A男がこれを認めず、法定相続分での遺産分割に固執している。」

といったものがあります。

 前者が特別受益の問題、後者が寄与分の問題です。

 

 まず、特別受益は、民法上「共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは」と規定されています(民法903条1項)。

 生前贈与の場合は、なんでもかんでも特別受益になるのではなく、「婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として」という要件を満たす必要があり、そのためにはある程度まとまった財産を贈与した場合であることが必要とされています。

 ですが、ではいったいどの程度まとまった財産の贈与があれば、「生計の資本として」といった要件を満たすのでしょう。金銭の贈与を例にとった場合、100万円でしょうか、1000万円でしょうか。

 この点は、贈与した金額の多い少ないだけでは決まらず、贈与がなされたときの被相続人や相続人の経済状況、贈与の目的・必要性など具体的事情に即して判断されます。100万円とか1000万円という金額が当該親族の間でどのような意味・価値を持っていたのかというところが重要な判断材料になってきます。

 このように、特別受益の要件を満たすかどうかの境界線は、非常にあいまいです。

 

 また、仮にこのような基準で特別受益に該当すると判断された場合でも、被相続人が当該生前贈与を遺産分割にあたって考慮しない(持戻しを免除する)という意思表示をした場合には、遺産分割にあたり考慮しないという規定があります(同条第3項)。

 この持戻し免除の意思表示は、明示でも黙示でも良いとされています。

 この規定があることにより、被相続人が持ち戻し免除の意思表示を明示的に行っていない場合でも、特別受益にあたる贈与を受けた相続人から、黙示的な持ち戻し免除の意思表示があったと評価すべきだという主張がなされることがしばしばあります。

 ですが、黙示的な意思表示があったか否かは、特別受益に該当する贈与がなされた当時の状況から、既にこの世にいない被相続人の当時の意思を推認して判断するしかなく、ここでも判定には困難が伴います。

 

 

 次に、寄与分も、「共同相続人中に、被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした者があるとき」には遺産分割にあたり考慮すると規定されているにとどまり(民法904条の2第1項)、「特別の寄与」とはどんなことをいうのか、やはりその判断基準はあいまいです。

 仮に実際被相続人の家業を手伝ってきた相続人がいたとしても、その貢献は有形のものばかりではなく、その労働が家業にとって特別な寄与であったことを証明することは非常に難しい作業です。

 また、被相続人の療養看護をしたという場合も、一方で、「家族なのだからある程度やってあげるのは当然」という側面もあり、特別な寄与かどうかの境界は非常に不明瞭です。

 

 さらに、これらが仮に特別な寄与であったとしても、その次に、ではそれを遺産分割上どの程度考慮するかという問題もあります。

 家業の手伝いの場合は事業にとって特別な寄与があったとされる部分、あるいは、療養看護の場合は家族の当然の扶助を超えた特別な寄与の部分とはどの程度なのか、遺産分割にあたって考慮するにはこの程度も判断しなければなりませんが、いずれも本来簡単に数値化できるものではありません。

 

 このように、特別受益・寄与分いずれも基準が不明瞭で、遺産分割上考慮すべきか、考慮するとしてどの程度考慮すべきかを判定することは非常に困難な作業です。

 そもそも、特別受益・寄与分という概念自体、法定相続分という原則的な割合を修正して個別具体的な事案において相続人間の公平を実現するためのものであって、結局のところは、特別受益の規定も寄与分の規定も、「何が公平なのか」というものを若干具体化して規定したにすぎないので、基準があいまいなのは当然といえば当然です(むしろ、具体的事案に即して柔軟に評価できるよう、あいまいな基準のままにしているとも言えます。)。

 

 このようなあいまいな基準が、時として、個々の相続人がこの特別受益・寄与分という概念を自分に必要以上に有利に引き付けて解釈してしまう要因となり、相続人同士の考えが乖離する原因になるのだと思います。

 

 相続人同士の考え方の乖離が激しくなれば、中間的な折り合いも付けづらくなります。

 そして、中間的な折り合いは付けられないとなると、最終的には裁判所の判断にゆだねられることになってしまいますが、裁判所は相続人・被相続人の事情を一切知らないところから一切の事情を考慮して判断するため、最終的な判断に辿り着くにはかなりの時間・労力を要します。

 この過程で、相続開始前は比較的円満だった家族関係が完全に崩壊してしまうということも考えられます。

 

 そこで、冒頭の問題です。

 遺言を明確な形で作成しておけば、遺産の分配の割合・方法は明快になりますし、その分配の割合を遺言作成者が(遺留分を侵害しない限り)自由に決めることができます。

 また、遺言にはなぜそういった割合・方法で分配するかの理由も、自由に記載することが可能です。

 「A男にはこれこれの財産を既に贈与しているから、何もしてあげられなかったB子、C美にはその分多めに取得させる。A男にはどうか理解してもらいたい。」

 「A男には家業を長年手伝ってもらい、苦労をかけた。A男は、私が病気で倒れてからも、長年私の面倒を献身的に見てくれた。このA男の苦労を考慮して、A男には財産をいくらいくら多めに渡すことにした。B子、C美にはどうか理解してもらいたい。」

というメッセージも遺すことができるのです。

 これを相続人たちが読み、被相続人の考えを理解することができれば、相続人同士の主張をあいまいな基準に基づいてぶつけ合う必要もなければ、今は存在しない被相続人の遺志を推測する必要もありません。

 

 このように、遺言を書くということは、ひとつには特別受益や寄与分といった判断基準があいまいな概念による遺産分割の紛糾から家族を救うという意味があるのだと思います。

 

 

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2019年4月26日相続