訴訟の幕引き

2019年4月26日

 判決と訴訟上の和解。

 どちらも訴訟の終了原因です。

 訴訟の終盤、和解で決着するのか、話し合いを打ち切って判決まで進むのかの岐路に立ち、ご本人と共に悩むことも少なくありません。 

 果たしてどちらがいいのでしょうか。

 それは、ケースバイケースですよね。

 そうですよね。

 ではまた。

 

 

 だとうっかり終わってしまいますので、以下、ああでもない、こうでもない、ってします。

 

 まず判決。

 争点について、裁判所に正面から判断をしてもらえます。

 訴訟では、平たく言えば互いの主張とそれを裏付ける証拠を出し合うことになります。

 ここは我々も一つの腕の見せ所というか、裁判所からこちらの主張に理由があると評価してもらえるようどのような構成でどのような事実を主張するか、その事実を裏付けるためにどのような証拠(やその事実を推測させる別の事実)を出し、その証拠等をどのように評価すべきだと主張するか、相手方から予想される主張や証拠をどのように叩くか、といった点を慎重に考えます。

 判決では、当事者の主張に対する裁判所の判断が正面からなされますので、判決というのは我々がご本人と共闘してきた汗と涙の結晶ですというと若干気持ち悪いですが、真っ向から食い違う争点についてこちらの主張が認められたときは、やはり相応の達成感・安堵感があります。

 ご本人も、ご自身の主張が通ったときはもちろん安堵してくださります。その争点が訴訟の中心であったり、ご本人の想いが強かった場合はなおさらです。

 他方、主張が通らなかったときは、当然残念なのですが、なかには、「相手の主張書面を読むたびにハラワタが煮えくり返って、書面をビリビリに破って捨ててやろうかと思ったこともあったけど、相手の主張を認めた判決の理由を読んだら妙に納得してしまった。」とか「結論的には残念だったけど、主張立証は十分やり切ったので、そのうえで認められなかったのだから、そういう意味ではすっきりした。」と仰る方もいますから、説得的な判決には紛争をたちどころに解決してしまう力があるように思います。

 

 他方、和解では争点は玉虫色になりがちです。

 もちろん、和解協議を整理するために必要な限度で、裁判官がそれまでの双方の主張立証に対する評価をすることもありますが、それはあくまでも判決前の暫定的なものですし、双方が納得できるところに話を持っていくために多少配慮をすることもあるでしょうから、判決になったときにその評価がそのまま反映されるとは限りません。

 そうなると、裁判所の最終的な判断が出ない形で訴訟が終わりますから、自分が一生懸命証拠を集めて主張してきた部分のモヤモヤが残ってしまい、和解での解決に踏ん切りがつかない方もいらっしゃいます。

 

 ただ、和解での解決にも別の特長はあります。

 

 ひとつは、判決結果のリスクを避けることでしょう。例えば判決直前まで結果がどうなるか分からないような事案で、予想される判決結果が点数にして60~90点の可能性がある場合に、判決で60点にならないように75点80点の和解で解決してしまおうという形です。

 

 もうひとつは、これが今回申し上げたいことなのですが、和解の良いところは、判決になった場合には盛り込まれない条項を盛り込み、紛争を柔軟に解決することが可能なことです。

 例えば、支払期限が過ぎている請負代金が支払われず訴訟となった場合、(認容)判決になれば未払い代金+遅延損害金を一括して支払いなさいという判断がでます。しかし、それでは自転車操業の被告会社は一括払いができず、原告(債権者)から主要な銀行の預金や大口の売掛金を差し押さえられたら一発で事業を廃止しなければならない危険な状態に追い込まれます。他方、勝訴した原告としても、例えば預金を差し押さえても残高が多くなく満額回収ができず、それによって被告会社が倒産してしまえば、結果的に満額回収の可能性が潰えてしまいかねません。

 このようなときに、和解では、原告が譲歩して被告に分割払いを認めてあげて、その代わりに例えば被告の代表者に保証人になってもらったり、会社不動産に担保を設定したりすることが可能です。

 その結果、被告会社も事業を続けて少しずつ返済することができ、原告も、時間はかかりますが、判決に比べて最終的な回収可能性を高めることができます。

 

 あるいは、離婚訴訟において、子どもと別居しているお父さんが、親権はお母さんで良いとしながらも面会交流を求めるようなケースでは、判決になると、面会交流の部分は、母親は月1回子どもが父親と会うことを認めなければならないといった抽象的な内容となることが多いようです。

 ですが、これでは月1回会うということは決まりましたが、では一体どのように面会を実施していけばよいのかということや、月1回会うこと以外の親子の交流はどうするのかということは決まっていないことになります。

 ここで、判決ではなく和解で解決しようとすれば、例えば子どもの夏休みくらいは平素の面会とは異なり遠出をしたりお父さんの自宅に泊まることを認める内容を盛り込んだり、学校のイベント時や学期末には子どもの写真や成績表を送るようにしたり、クリスマス・誕生日にはプレゼントを贈ることを認めたり、という柔軟な内容を盛り込むことが可能になります。

 そうすることで、父子の交流もより深まりやすくなるでしょうし、お母さんの側でも父子関係が円満であることによる恩恵を受けることもあるでしょうし、それによって一度は離婚によって傷ついた父母の信頼関係が徐々に回復していき、さらに父子の交流が円滑になるという好循環を生むことが期待できます(現実はそんな単純なものではないでしょうけれども。)。

 

 このように、和解による解決は、たしかに訴訟で衝突し合っているお互いの意見を調整しなければならず、判決をもらうよりも大変なことも少なくありませんが、調整がつけば、判決よりも格段人間味がある柔軟な紛争解決方法であると、私は思います。

 人間が紛争に巻き込まれて訴訟に発展して一度鬼になったけれど、最後の最後でお互い人間に戻って理性的に解決するというような。

 もちろん損得も考えながらではあるけれども譲れるところは譲って、調整しきって紛争に幕を下ろすというのは、それは素晴らしい解決方法だと思います。

 

 とはいえ、和解へ向けた話し合いがどうにもならない訴訟も中にはあるので、その場合は判決になっても仕方がありません。

 

 

 と……というわけで、こねくり回してみましたが、やっぱりケースバイケースでした。

 

 ちなみに、私のことを知る同業者が、裁判所や相手方(やその代理人)に提出する「和解案」を作成する際、漢字の変換で「若井案」と出てしまい、「オマエの案じゃねぇし。」とイラっとすることがあるそうです。時間がないときなどは特に。

 知り合いの同業者の皆さま、なんかごめんなさい。

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2019年4月26日訴訟・裁判